神岡探訪記


その1/1997年11月訪問(5)

 崖の下は緩やかな斜面になっており,広大な敷地にはその昔事務所や炭住がひしめき合っていたことであろう.木や草に覆われて全容は判らないが,下に通じる舗装された道があり,それに沿って建物が多数あったようだ.遠くの方には木造瓦屋根の立派な事務所風の建物が散見できる.一部崩れているようだが,見たところどれもほぼ原形を留めているようだ.
 全盛時代の様子を想像しながら奥へ進む.複線の軌道は所々で分岐し,その側線には草に埋もれながら鉱車が佇んでいる.いずれも赤黒く錆び,水が溜まっている.中にはひっくり返されて車輪が上になっているものもある.右手の広場には壁の破れた共同浴場か共同便所のような長方形の建物が見える.水道の付いた洗い場も見える.ここにも崖下に鉱車が打ち棄てられていた.
 山側にも建物があった.コンクリート製の古いもので,鉱石を貨車に積み込むためのものであろうか,軌道を跨いで設備されていた.他にも建物が崩れたと思われる残骸があちこちに残っている.さらに行くと,だんだん軌道を背の高い草が深く覆い始める.軌道のある土地も狭くなり,やがて単線になる.山側はコンクリート擁壁,谷側は草で覆われ何だか判らない.途中,谷側に四角いコンクリートの土台があり中央に便器だけが残っていた.
 草の茂みが浅くなり,代わりに木々が鬱蒼と茂り始める.と,前方にトンネルが見える.軌道はそのトンネルと,トンネルに沿って奥へ続く2本に分岐している.トンネルはどうやら坑道の入口らしく,奥は暗くて見えない.軌道は奥へ続いているが,下部軌道のトンネルと違ってここはすでに放棄されている.何が起こるか判らないので5メートル程中の様子を窺うに留める.  トンネルを出てもう一方の軌道を辿る.山肌に沿って右へカーブしているが,ちょうどその曲線の部分の地面が崩壊しており,2〜3メートル程レールが宙に浮いている.さらに辿っていくと,だんだんレールが草と土に埋もれて判らなくなってくる.それでも根気よく辿る.トンネルの分岐からさほど行かないうちに,レールを土砂か廃材か判らない物が覆い,そこを境にレールは途切れる.その先にも辛うじて道のような空間は続くが,レールの延長線上に当たる部分にレールらしき物はなかった.恐らくそこが軌道の終点で,廃材は何かの建物だったのだろう.その終点の山側には屋根で覆われた階段がさらに山の上へと続いていた.但しこの階段は下の部分がなくなっており,軌道の終点部の建物から上がるようになっていたのであろう.その階段がどこに通じているのかは知る由もなく,軌道の終点を確認して来た道を戻る.
 一通り見て撮り終えると心細さが蘇ってきた.先程から聴いているラジオで時刻は把握していたが,気付けば16時を回っている.17時の列車に乗ることをうっかり忘れていたのだ.3時間かけて登って来た道を1時間弱で下れるだろうか.一か八かで山を下りることにした.心残りはない.  下りの道をひた走り40分,果たして先程の事務所に着く.約束通り見終わったのでその報告と礼を兼ねて立ち寄る.「本当に行ったのかい」という顔の業者氏にお礼を言い,駆けながら早い夕暮れに沈む下部軌道と事業所をカメラに収める.行きに通った階段とは別に車道があったのでそこを駆け抜け,国道を渡り川を渡り茂住駅に.
 ちょうど猪谷行きの列車が構内に入って来る所だった(*13).
写真をクリックすると
拡大写真になります.


写真帖を見る
鉱車
側線に置いてあった鉱車.線路に乗っているが,積載部に水が溜まっている.
軌道
山に沿ってさらに奥へ続く.
坑道
トンネルは「大津山坑道」と呼ばれる坑道の入り口で,ここから坑道が縦横無尽に張り巡らされているという.
終点
上部軌道の終点部.中央に見えるのが建物?の残骸.画面右上に謎の階段がある.
建物
軌道を戻る.中央の建物は共同洗面所か.

目次へ 次編へ ホーム


(C)Rottem;1998-2024 Alle Rechte Reserviert. Rottem