神岡探訪記


その4/2001年5月訪問(1)

 前回,大津山行きを果たせなかった筆者達は,その後諸先輩方の著書やインターネットサイトによる探訪記等によりそれなりに神岡について多くの情報を得た.大津山に関する情報や,神岡では最も大規模な鉱業所であった「栃洞」(とちぼら)という場所があることを知った.特にその「栃洞」には未だに多くの施設や軌道が残されており,比較的行き易い場所にあったにも関わらず筆者達は今まで全く知らなかったのである.そう言えば以前訪ねた神岡の歴史資料館のような施設に「栃洞」の記述があったことを思い出した.あの時もっと深くまで調べておけば…と自分達の浅はかさに後悔しきりであった.
 前回以降,事あるごとに筆者達の間では「もう一度神岡へ,そしてまだ見ぬ栃洞へ」がしばしば話題に上った.そして,その年の夏頃には既に「来年雪解けを待って神岡へ行く」という大まかなプランも打ち立てられ,筆者達はそのつもりで日々を過ごしていた.
 冬が明けた4月,神岡行きの日程を5月3日と決定した.連休中で混雑が予想されたが,できれば筆者と同行の友人の他にも誰か連行したい,との理由により敢えて連休の中日を選んだ.
 とは言っても,名も知らぬ地の,しかも廃坑を見に行くだけという行事に喜び勇んで付いていこうという者はそうはいない.何かメインの行事(例えばレジャーや温泉等)のついでに廃坑探訪ならまだしも,廃坑のみ,である.知り合いに唯一の鉄道愛好者がいるのだが彼は他に用事があり行きたがってはいたが同行は不可,折角連休に設定したのにこれでは意味がない.
 最終的に筆者の知り合いの女の子を1人連れて行くことになった.彼女は廃坑にも鉄道にも特に興味はなかったが,筆者達との付き合いの上で廃坑や鉄道についての話を(一般市民としては異常と言える程)聞かされていたことが幸か不幸か,見てみたい,と興味を示したので連行することと相成った.
 今度こそ大津山へ行かなくてはならない.もう既に一度(筆者に至っては2度)見ているのだから良いではないかという気もするが,前回の屈辱もあり筆者達は意気揚々としていた.筆者は今回も使用するマイカーをメーカーで整備した.最初に行ってから2年が経っており,しかも走行距離は6万キロになっていたからである.できるだけあの時と同じ条件に近付けておかなければ,今回はあの勾配を登れないかもしれない,と考えたのだ.
 例によって前日の深夜に出発する.夕食を済ませ,八王子から中央高速で松本へ.前回と同じルートだ.但し今回はすこぶる快調で,途中のサービスエリアで小休憩をした以外はノンストップで上高地の手前まで来てしまった.所要時間約4時間.
 朝8時頃神岡に向け走り出す.例によって「栃洞」の場所は大まかにしか掴んでおらず,おおよその見当で神岡の街に入る手前で右に行くルートを取ることにしていたのだが,結果的に大間違いであった.国道から外れて右に行くのは同じなのだが,それは神岡の街に入ってからのことだった.「大規模な鉱山」を想像していたので,街から離れた山の中にあるのだろうと我々は想像していたのだ.
 途中で通行人に道を訊きながら大体の位置が判り,栃洞へ続くであろう山道を登って行った.舗装はされているが決して楽ではない山道を不安な気持ちを抑えながら上ること20分,炭住とおぼしき平屋の建物群が目前に現れた.殆どは空き家と思われたが,道沿いの一軒に庭の手入れをしている老人がいたのですかさず栃洞はどこか訪ねた.老人はこの先すぐの所にあると言い,この辺りも殆ど人がいなくなってしまったと付け加えた.なるほどこの老人の家の他には人の気配はない.さらにこの老人もこの地に住んでいる訳ではないようで,以前住んでいた家の手入れに時折街からやって来る,といった印象を受けた.
 「栃洞」まではどうやらこの先の道が二手に分かれており,片方は行けるがもう一方は草が生い茂り行けないかも知れないとのことであった.とりあえず行けようが行けまいが栃洞は目前にある.行かないと言う選択肢は我々にはまだない.
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神岡鉱山−栃洞
栃洞の俯瞰.
神岡鉱山−栃洞
建物の中.蓄電池機関車が佇む.
神岡鉱山−栃洞
蓄電池機関車.
神岡鉱山−栃洞
人車.
神岡鉱山−栃洞
複線のレールが続く.

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