東洋活性白土専用軌道(新潟県糸魚川市)


 1984年4月8日/ペンタックス??(35ミリフィルム一眼レフ)

 今からもう18年も前の春,ちょうど筆者が小学校を卒業した春休みに訪れた.
 以前から鉄道趣味誌等で紹介されており,「現役最後のSL」などという見出しが良く付けられていた.筆者はどちらかというとSLにあまり興味がなく,SLに牽かれる貨車や,軌道の存在そのものに興味を抱いていた.その存在を知ったのは小学5年生の頃だったと思うが,まだ子供だったので訪問もならず,小学校を卒業してその記念にと父親を伴ってやっと訪れたのだった.
 4月最初の土曜日に今はなき特急「鳥海」で大宮を発ち,蒲原鉄道に乗車し黒井の頸城鉄道の跡を見て直江津に泊まり,翌日朝一番で糸魚川に来た.
 詳しい場所が判らなかったのだが,駅の案内所に置いてあった糸魚川を紹介するパンフレットにこの軌道(というかSL)のことが紹介されており,大まかな場所は把握できた.交番等で道を尋ると「もう工場はやってない.工場は残ってはいるが数週間後には更地になりスーパーマーケットになる」とのことであった.情報収集もままならなかった子供の時分である.工場が閉鎖になったことも知らなかった.どうりで,道すがら探した糸魚川駅に続く軌道もなかった訳だ.今思えば,工場の近くで有名な軌道沿いのポプラ並木を見た気がした.
 教えられた道を行くと道路を横切る軌道があった.殆どアスファルトに埋もれていることからも軌道が使われなくなって久しいことが窺えた.軌道は道路沿い右手の工場の門に入っていて,門扉も開いていたので少し中に入り誰かいないかと辺りを見回した.人気はなかったが,結構広い工場の敷地の中で軌道は幾つにも枝分かれし,積み込みホームや建物の裏へと消えている.見たところ車両はなかった.落胆していると人が出てきたので,門が開いていたので見学させてもらっていることを告げると「車両は全てどこかに持っていってしまった」という.その時は知る由もなかったが,後に「羅須地人協会」という団体が引き取ったことを知った.車両もなく再度落胆.写真を1枚撮っただけで工場を後にした.敷地内をあちこち見て回った記憶もない.今であれば車両などなくてもこれだけの軌道や施設が残っているだけで十分な筈だが,当時は車両等があることを過度に期待していたため落胆するしかなかったのである.せめて工場内の写真をもっと撮っておけば….今の自分ならフィルムの消費など全く惜しむことなく何十回いや何百回とシャッターを切っていたであろう.その日は日が暮れるまで工場内をくまなく探検したに違いない.
 ところがこの1枚のみ.悔やんでも悔やみきれない.しかも記憶もおぼろげだ.幼き日のこととはいえ何という失態であったことか.
 後年再びこの地を訪れたが,無論工場はなくその跡地に建てられた筈のスーパーらしき建物も見当たらず,跡地と思われる場所には最近開店したばかりと思しきドラッグストアがあるのみだった.軌道が横切っていた道路も記憶では2車線の狭い道だったが,片側2車線の立派な国道になっていた.

※拙著「廃線めぐり」も参照いただきたい.尚,執筆より数年を経たことで事実関係を改めて内容に若干の補足・訂正を加えてあるので,両者異なる記述の箇所もあるがご容赦いただきたい.

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東洋活性白土  工場内の分岐部分.写真はこの1枚だけ.



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