廃線めぐりV
上 信 越 ( 1 )
V−1 頸城鉄道(1971年廃止,新黒井−浦川原15.0km)
 昔,信越本線直江津の一つ手前の黒井から軌間2フィート6インチの鉄道が出ていた.百間町・飯室を経て浦川原に至る軽便鉄道である.1967年に両端を廃止,国鉄に接続しない路線となり,残った百間町と飯室の間もその4年後に姿を消した.
 ある本に,旧新黒井駅跡が残っているというレポートがあった.かなり前の情報だったが,何も残っていなくてもいい,そう思って1984年春に新黒井を訪ねた.あいにく新黒井に着いた時はもう辺りは真っ暗で,それでも黒井駅の裏手に軽便の駅を探しに向かった.踏切を渡り,古い倉庫の間を抜けるとそこには一面に厚い雪をかぶった,一目で駅の跡とわかる空き地があった.しかしこれでは何も見えない.積もった雪の間に枕木のようなものが見えていたが,ホームの跡や線路が残っているかどうかも確認できなかった.
 周りを見ると恐らく民家であろう,くずれた廃屋が風に吹かれて不気味な音をたてている.駅舎と思われる建物は見あたらなかった.
 強い北風の吹く寒い日であった.何の収穫もないまま黒井をあとにした.
 それからずっと新黒井のことが気になっていたのだが,8年後の1992年10月,2回目の訪問を果たすことができた.陽も傾いた頃に黒井に着いた.8年前といささかも変わらない駅前を通り,貨物ヤードの裏にまわる.廃屋はきれいに姿を消し,新しい住宅が建っていたが,倉庫は残っていた.
 前回雪をかぶって見えなかった新黒井駅の跡は一面雑草に覆われ,子供達の遊び場と化していた.線路などはなかった.しかし,8年のうちに駅の跡さえ消えているのではないかと思っていた私には,もうそれだけで十分であった.前回は気付かなかったが,構内の隅を流れる小川に小さな橋桁が架かっていた.その先には線路跡が続いている.木々が生い茂り辿ることは不可能だったが,かなり向こうまで続いているようだった.
 日も沈んだ頃,直江津からバスに乗り,車庫のあった百間町に行ってみた.路線バスの行き先にもなっているので,恐らく旧駅がバス乗り場にでもなっているのであろう.百間町でバスを降りると,そこは予想通り旧駅前であった.立派な木造の旧駅舎と,その奥には車庫の建物が残っていた.どちらもさほど荒れてはいなかった.しばらくはこのまま残っているのではないだろうか.
 車両を見ることはできなかったが,ここで使われていたコッペル製の蒸機が,上越市の頸城自動車本社に保存されているとのことである.

V−2 東洋活性白土(1982年?廃止,糸魚川市)
 かつて,北陸線糸魚川駅の東にある貨物ホームから,2フィート(610mm)ゲージの専用線が出ていた.市内にある工場までの間約800mを協三工業製のB型蒸気機関車が貨車を牽いて往復していたのが,この東洋活性白土専用線である.実用として働く,日本最後のナローの蒸機がいることで知られていた.
 1984年4月,黒井の頸城鉄道跡を見た翌日に糸魚川を訪れた.
 駅でもらった糸魚川市の観光案内には「ミニSLを見に来ませんか」という記述があり,まだ残っているのか!と期待した.しかし,昼食を食べに入った駅前の喫茶店の人の話によると,軌道はすでに取り払われ,工場も数週間後に取り壊されてデパートになるという.期待が大きくなっていただけにがっかりしたが,工場が残っているなら車両もあるかも知れない.とにかく教えられた道を急いだ.
 交差点で広い道路に出ると,目の前に道路を横切る線路を埋めたらしい跡が見える.それは道沿いの古い工場に続いていた.工場はひっそりとしていて,白い木造の建物がいくつか建ち,その間を細い線路が沿うように敷かれていた.
 しかし,あたりを見回しても車両らしいものはなかった.工場の建物の中にあるのだろうかと覗いていると,工場の関係者らしい人がやって来て「汽車はもうのうなってしもうた(なくなってしまった)」と済まなさそうに言った.どうしたのか訊ねると,どこかへ持って行ったとのことで,どうやら解体したのではなさそうだ.それにしても,ここには工場所有車の他に羅須地人協会が所有する蒸機や客車,トロッコなどもあった筈だが,今それが一体どこにあるのか不明である.そういった情報も現在に至るまで聞いたことはない.
 話では,もう2年程前から運転はしていなかったらしく,来るのが遅かったことを悔やんだ.
 その後糸魚川に一度だけ行ったが,その工場のあった場所には行かなかった.場所もわからなくなってしまったし,行ってみてももう何もなかったであろう.

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