神岡探訪記
その6/2001年8月訪問
2001年8月,この年2度目の神岡訪問となった.
今回は筆者を含めて5名,筆者以外の者の神岡訪問歴はそれぞれ,数回(何度来たか判らぬ程来ているということ)・2回目・初・初,という陣容である.しかもうち2名は鉄道も廃墟も全く趣味にしていない一般人である.更にそのうちの初回訪問の1名には「飛騨や軽井沢を回る旅だがどうだ」と誘い,このような山奥の廃墟ツアーが主目的であることは出発してから告げた.しかしその知人も筆者と旅をするのは初めてではなく,観光旅行であっても毎回必ず「廃線探し」や「保存車両見学」が強制的に織り込まれているのに慣れているのか「あっそう」の一言.参加者全員の同意の下に神岡訪問を開始したのであった.
気象情報では現地の天候は芳しくなく,今度こそと思っていた大津山行きはまた断念せざるを得ない予感が既にしていた.神岡はまた別の機会にし,長野でも観光するかとの意見も出た.しかし今回は神岡の訪問が初めての者が2名もいるので折角だから行こうという筆者の意見が通り予定通り神岡へ向かうことになった(もっともその2名というのも特に神岡訪問を熱望していた訳でもなかったのだが).
定番となった中央道−安房トンネル−平湯ルートで翌朝神岡に着く.岐阜県に入った辺りから小雨が降り続く.もう大分降り続いているようだ.
まず栃洞へ.事務所跡の前に車を停める.何とその先は門が閉まっていて入れない.仕方なく車を降り小雨そぼ降る中を徒歩で少し下り,雑草生い茂る獣道を登る.雨と草露で服が濡れる.
登り切るとウィンチのあるヤードの場所に出た.雨も降っていて疲れてしまったので少し中を見て車に戻った.
再び車に乗り,林用軌道の跡を探索する(特別編その1参照).昼食を取り今度は大津山へ.
しかし我々の大津山行きの期待はすぐに裏切られた.いつもの交番の裏道を入ると「通行止め」の看板.少し入った所で崩落のため先には行けないとある.だが諦めの悪い筆者は本当に通れないのかこの目で確かめねば引き下がれぬなどと進行を強行.客車の少し先の道の悪くなった辺りで目前に大量の土砂が道を塞ぐ.徒歩なら行けたであろうが時間も掛かるし今回は多数の同行者もいる.数度目の断念に後ろ髪を引かれながら車を引き返す.
折角なので茂住鉱を見学する.筆者ともう1名の同行者はもう何度も見たが,初参加の者のために寄ることにした.
その帰り道,今まで存在は知っていたが実際に何処にあるのか判らないでいた(三井金属の旧)神岡鉄道の遺構を見付け,早速歩いてみた.そこは雪避けのスノーシェッドとトンネルが連続する区間で,趣味誌等にも掲載されている著名な場所なのだが今まで見付けることができなかったのである.大津山は残念だったが,ここの収穫で良しとしよう.
その線路跡を辿っていったりしているうちに小さな発電所があった.稼働中と見えるが詳細は判らない.どう見ても軌道跡と思われる建造物も残っている.
帰り道,市街地の郷土資料館に立ち寄った.中には入らなかったが,受付の窓に貼られた町内の詳細な地図が目に入ったので良く見ると,大津山等の細かい山道が記されていた.そこにあったのは貼ってある1枚だけだったのでカメラに収めた.配布しているのなら欲しい一品であった.
我々は悪天で暗くなった国道41号線を戻り,深夜近くになって長野県内の同行者の祖母宅に行き,そこで一晩を過ごした.
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