神岡探訪記


その4/2001年5月訪問(4)

 元来た道を戻り建物を出て,再び車に.今度はさらに道のその先へ行ってみることにする.何があるかは判らないが,ともかく行ける場所には危険ぎりぎりまで行かないと気が済まない筆者達である.怪しい道があれば行くしかない.
 道は舗装はされているがかなり舗装が剥がれていたり落石がある.幾つかのカーブを過ぎた行き止まりに,車のガレージの如きシャッターが山の斜面に3つ程設けられていた.どうやらここも何らかの坑道であるらしい.シャッターの向こう側に坑口があると見た.そのシャッターの下には線路等は形跡すら見当たらなかったが,少し広場になっている隅に殆ど土に埋もれたレールを発見した.ほんの数十メートル程だが,レールの方向から見て先程の選炭場に通じていたことは明らかであった.
 この先がないことを確認して事務所のある所に戻る.見たところ軌道関係は他になさそうなので(選炭場のインクラインの下は気になったが,この時はそこまで行けそうな道を見付けることはできなかった),鉄道より廃墟の類が好きな同行者その1が早く行きたがっている住宅地域を見てみることにする.
 その住宅は,事務所のさらに向こう側にあり,決してなだらかとは言えない斜面に鉄筋4階建てのマンションが数棟佇んでいる.白一色のどこにでも見掛ける古いタイプの,アパートではないのだがマンションと言える程ではないという感じの建物だ.但しそれは現在の比較での感想であり,1980年頃までなら普通以上のランクであったろう.中央に建物本体から突起して階段があり,外階段ではなく明かり窓の付いた内階段であることがこのマンションがただの安マンションでないことを物語っている.
 しかし,そうは言っても筆者達の目前にあるのは既に廃墟と化している.窓ガラスは殆ど破れ,外装も剥がれ落ちている.破れた窓からは室内も見えるが,長年雨風に晒されたからであろう,内装が朽ち果ててしまっているのが外からでも窺える.近くの1棟に失礼して入ってみる.
 ここは完全に1つの壁で覆われた建物になっている.どういうことかと言うと,住人は一度扉から建物に入り,さらに改めてその中にある自室の扉から室内に入るのである.一般的にマンションやアパートはそれぞれの部屋の入口は外に晒されている,つまり玄関の扉を開けると,多少の壁や窓があってもそこはもう外である.ところがここは違う.昔の木造アパートか,現在で言うなら旅館やホテルを思い出してみると良い.各部屋(と言うか各家庭)が1つの建物に入っている,という感じなのだ.だから,「お隣さん」の存在が非常に近い.
 扉は鉄製で,小さなノブが付いている.一見近代的だが,扉やその周辺の細かい造りを見るとかなり古さを感じた.昭和30年代であろうか.扉は開け放してあり,中に入るとガラスの破片が散乱している.しかしゴミ等は殆どなく,その代わりに木材や何だか判らない鉄製の円筒形の物が積んである.部屋に入ってみる.どこからどこまでが1部屋(1家庭分)なのか判らないが,6畳と4畳半の部屋が1つづつ,その部屋を両端にして中央部に台所,並んで便所と小さな風呂場がある.床は畳であろうが,畳は腐って既になく,床板と骨組みが露出している.部屋も分かれてはいるのだろうが襖もなく大広間のようになっている.と言っても全体的に大変狭い.この建物全体が狭く小さいのだ.扉や階段,部屋の大きさ等全てのスケールが小さい.
 階段を上がり上の階の別の部屋に入る.こちらは床に畳が残り襖もある.天井には古びた電球のソケットが下がっている.ここに,いつまでかは判らないが生活があったのだと思うと感慨深い.
 他の棟や部屋にも入ってみたが一様に同じ状態で,期待した生活用品は殆ど見ることができなかった.恐らく集団移転か集団転居の際に綺麗に引き上げてしまったのだろう.
 少し雨が落ちてきた.そのマンション群の横の道を挟んで反対側は一段高くなっており,その上には木造平屋の長屋状の家屋が十数棟ある.上に登れる階段があるのだが雑草が幾重にも茂っており,ほんの十数メートルなのに登るのに困難を極めた.さらに登り切っても一面背の高い雑草で,しかもそれが幾重にも倒れているので足の踏み場もない.草の茎で足場が浮き,足を地に着けることができない.それでも何とか近くの1棟に辿り着く.木造の壁板や屋根等は破れたり腐ったりで老朽甚だしい.それでも玄関には鍵が掛かっており,いや立て付けが悪いだけかも知れないが,ともかく中に入ることは難しそうだ.
 さらに,山側にもう1段高くなっている所があり,そこにも家屋があった.こちらは同じ木造でも2階建てで,5〜8棟あったが幾つかは崩れていた.こちらも入れそうになく外から眺める.
 何れも生活の痕跡を探したが特にそういったものはなく,殆どは資材や廃材の置き場と化していた.通常の廃屋であれば,残された衣服や生活用品,新聞・雑誌といった物や子供の勉強道具等が残されていることが多く,そういった物を見付けては以前そこにあった人と暮らしに思いを馳せるものである.ところがここにはそういった物は一切と言っていい程存在しなかった.一抹の物足りなさを感じながら丘を下りる.勿論それは贅沢な話で,この風景を見,そこに自分がいたことだけでも十分感動に値することなのだが.
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神岡鉱山−栃洞
大きく崩落している.
神岡鉱山−栃洞
電気機関車.大型のタイプ.
神岡鉱山−栃洞
グランピー.
神岡鉱山−栃洞
資材を載せた短い貨物列車.
神岡鉱山−栃洞
こちらも崩落している.

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