神岡探訪記


その3/2000年7月訪問

 2000年7月,前回神岡に同行した友人と「もう一度神岡(大津山)へ!」ということになり,2年振り2度目の(筆者にとっては3度目)神岡行きが計画された.
 前回は関越・上信越・北陸道経由,つまり富山を回って神岡に行っていたのだが,前回以降別の機会に上高地付近に旅行に行った際に,国道の行き先表示に「富山」とあるのを目撃,「これは松本回りの方が近いのでは」ということで調べた結果,首都圏から富山に行くには元来松本を通って行った方が近いということが判り(ある程度詳しい人にとってはこの事実は常識であったのかも知れない),「それでは中央道・松本経由で」ということになった次第である.日程はたまたま筆者が休みの7月20日の海の日になった.通常の休日にこの様な行事が実施されるのは筆者達にとっては非常に稀であった.
 当日は木曜日であったが,もう既に夏休み同然とあって道路は混んでいる筈である.目的地までの距離や現地での滞在時間を考えても当然のことながら前日の深夜に出発する行程になっていたので,渋滞にはまることはあるまい.但し実際に出発したのは日付が変わってからになることは毎度のことであった.
 八王子から中央高速道に乗り一路松本へ.途中みどり湖で休憩と仮眠をし朝方再び出発.松本北で下りて上高地へ向かう国道を走る.もう早朝とは言えない時刻であったが,休日の朝にしては比較的快調に走ることができた.上高地を横目に県境を越え岐阜県に.程なく平湯という温泉地で国道41号線に入る.カーブと勾配の繰り返しの国道を約2時間,神岡の街が見えてくる.但し今回の目的地は神岡町でも北の方になるので引き続き北上する.前回は富山から南下してきたので,地図では下から神岡に入ることになる.
 市街から約30分,茂住に到着.前回の大津山へ上る林道を探す.国道から街並みの裏手に入り,坂を上がる.いきなり衝撃的な事実が筆者達を失意に陥れる.「工事中通行止め」.道の真ん中にそう表示された看板が無情にも行く手を阻んでいた.この様な旅ではままあることとは解っていながら,失意の余りはるばるこの地までやって来た疲れが一気に出る.しかも看板によれば,その工事は7月末で完了するという.10日早かった.
 しかし諦めの悪い筆者は無謀にも「もしかしたら行けるのではないか」と最後の望みを賭けて徒歩で少し先へ進んでみた.数十メートル程進むと,右手の山肌が見事に崩落し道を完全に塞いでいた.これではこの先は徒歩で行くしかない.筆者独りならば適当な場所に車を停めて徒歩で先に進んだだろうが,同行の友人はと言えば山登りはおろか歩くこと自体を苦手とする人物,しかも今回の目的は同行の友人と訪ねるのが目的であり,筆者が独りで大津山に行っても意味がない.
 本来この様な旅というか探訪には目的を果たせない場合も多々あることで,むしろ目的地に行けるだけでも十分な結果と思わねばならない世界である.そう思いながら車を後退させた.
 しかしそうは言っても残念無念の思いはそう簡単に癒せるものではない.前回も訪ねて隅々まで見て回った下の事業所ではあるが,せめてもの慰めに今一度見て帰ろう.
 一旦国道に下り,すぐまた右斜めの小道を上がる.祝日とあって門が閉まっていることも予想されたが,幸い門は開いていた.いつもの急勾配を上がって行くと人の気配はなく,微かな機械音が聞こえるだけで静まり返っていた.筆者達はこの場は既に1回(筆者に至っては2回)見ているので,特に新たな発見もなく30分程度で見終わってしまった.しかも当時,近くにあった「栃洞」に関しては知る由もなく,他に目的地なし,として帰途に着くことにした.
 気付けば,辺りを囲む山々に日は没し,夏だというのに早い夕暮れがやって来ていた.国道を南へ下り,神岡を後にした.帰路は松本から軽井沢に抜け,御代田町にある行き付け?の焼き肉屋で食事をし,上信越自動車道を下って自宅に帰り着いたのは日付が変わってから随分と時間が経ってからだった.

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