廃線めぐりU
関 東 ( 2 )
U−3 西武鉄道安比奈線(1963年休止,南大塚−安比奈3.2km)
 この線は「鉄道ファン」1992年4月号に詳しく報告されているのでお持ちの方はご覧いただきたい.
 さて,この線に興味を持ったのは,まだ小学生の頃であった.学校の遠足のバスで国道16号線の川越市街を過ぎたあたりを走っていると,何やら怪しげな単線の踏切を渡る.この踏切,何が怪しいかというと,第一に遮断機がなく,線路はどう見ても列車が走っている様子はない.しかも,架線が張ってあるがその架線柱が木柱なのである.さらに両側に続く線路は半分草に埋もれている.
 普段川越なんて所には行かないので,その踏切は1年に一度学校行事の際にバスで通る位であった.それが西武安比奈線という,かつて入間川から砂利を運んでいた鉄道だと知ったのは,大学に入ってからだった.
 その大学の友人と1992年8月,安比奈線を歩いてみようということになり,蒸し暑い日曜日に西武新宿線南大塚に降り立った.相対式ホームの向こう側に保線用の側線のような線路が1本ある.その線路は本線と分かれて街の中へと続いている.とりあえず線路を歩けるだけ歩いてみることにする.
 南大塚から分かれた線路は民家の裏をひっそり通る.線路には枯れ草や土が覆いかぶさってはいるが,このままで車両を走らせることもできないでもない.線路敷は周囲の民家の庭同然になっている箇所もあり,ごみ燃しのドラム缶や鉢植えなどが置かれている.途中,線路の間に高さ2m位の大きなひまわりがひょろりと生えていた.また工事で線路が取り外されている所もあった.
 市街地を抜けると,長い直線になる.畑の中の線路を歩いていると,目前にうっそうとした森が出現した.そこは木が線路に完全に覆いかぶさり,真上を見ても空が見えない.線路のある所を除いて木々が生い茂り,夏なのに涼しく昼でも暗い.まるで「となりのトトロ」の世界である.
 またしばらく行くと,田んぼの中に築堤が現れた.その途中に小川があり,ガーター橋が架かっている.枕木づたいに渡ると,線路は畑と林の中を通って入間川の河原に出る.河原といってもかなり広く,辺りは荒れ地になっている.線路はそこで終わっているらしいが,背の高い夏草に覆われていて線路があるかどうかもわからない.どうやら線路は何本かに分かれていて,ここで砂利を積み込んでいたらしい.架線柱が何本も立っていて,架線も張ってはあるが,倒れているものもいくつかある.
 話によると,この線路を利用して車両基地をつくり,新宿線の輸送力増強を図ろうという計画があるという.この奇妙な線を見ておくなら今のうちである.

U−4 武州鉄道(1940年廃止,蓮田−川口市安行)
 この武州鉄道は半世紀も前に廃止されているが,地元岩槻市を走った鉄道ということで紹介する.
 この鉄道は国鉄東北線蓮田から岩槻町(現市),川口町(同)を経て東京に至る計画で敷設された.実際は蓮田から現在の川口市安行までを結び,戦中に姿を消した.
 地元にかつてこんな鉄道があったことを知ったのは,小学4年生の社会科で「私たちの郷土」という内容の授業をしたときであった.社会科見学と称して市内各所の旧跡を見てまわったとき,自分の家のすぐ近くに鉄道が通っていて,その線路跡が今もまだ残っているのを知った.
 その線路跡は道路と交差するようにずっと奥へ続いていた.空き地にしてはやたら細長く,道にしては草ぼうぼうで人が通るような所でもない.言われてみればなるほど線路跡である.道路の反対側はただの畑であるが,よくよく見ると一部が不自然に盛り上がっていて,そこが道床の跡であることがわかる.
 他にも岩槻市内や隣の蓮田・川口両市内に線路跡や橋梁跡などが残っているそうだが,確認はしていない.
 蒸機やガソリンカーが走っていたようだが,もしこの鉄道が現在まであったとすると,岩槻から東京へのルートはまったく違うものになっていただろうし,この辺りもどうなっていたかわからない.
 などと50年前に思いを馳せてみるが,なかなか虚しいものがある.

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