廃線めぐりU
関 東 ( 1 )
U−1 筑波鉄道(1987年4月1日廃止,土浦−岩瀬40.1km)
 1987年3月31日,国鉄と共にその姿を消した筑波鉄道.
 廃止から1年経った 1988年4月,真鍋庫を訪ねた.国道から,狭い路地を抜けていくとまだ多くの車両が留置してあった.この車庫の隣には筑波鉄道と関東鉄道の本社があり,車庫にもまだ人気があるようだ.役目を終えてから1年が過ぎた気動車たちはまだきれいで,側面に「長い間ありがとう」とお別れのメッセージをペイントした車や,最終列車として一杯の客を乗せて走ったキハ505・761も健在である.元北陸鉄道のキハ541は前後に荷台を付けた数少ない車両だが,廃止以前から使われることはなかった.ディーゼル機関車のDD501は車庫の奥に押し込まれている.構内の線路はすべて残っており,駅舎やホームも健在でさして荒れてもいなかった.
 構内をうろついていると,事務所からおじさんが出てきて声をかけられた.この留置車たちも,一部の他線に転属する車両を除いて解体されてしまう,と寂しそうな表情で語っていた.車両そのものはまだ健康で十分に使えるのだが,使ってくれるところがない.ほとんどの非電化私鉄は車両が余ってさえいるのだから,筑波の車両たちの働く場所はもうない.仕方のないことだが,何とも悲しい話である.
 私は土浦に親戚があるので,この真鍋庫には廃止前にもよく遊びに来ていた.この年の夏にも行ってみたが,相変わらず車両は欠けることなく残っていたし,何も変わってはいなかった.しかし,それから間もなくその親戚が引っ越してしまい,真鍋のことも気になってはいたが,長らく土浦に行くこともなかった.
 3年が経ち,1991年の夏に友人と常磐線沿線の私鉄をまわった折りに真鍋に寄ってみた.するとあれほどあった車両たちは一両残らず姿を消し,代わりに関東鉄道バスの廃車体がいくつも放置してあった.
 現在,線路跡はサイクリングロードなどにされるなどして大半が残っているとのことで,廃止時のままの姿の新土浦駅も国道6号線から見ることができる. また,キハ461(元国鉄キハ048)がつくば市のさくら交通公園に保存されたとのことである(「鉄道ファン」318号).

U−2 九十九里鉄道(1961年3月1日廃止,東金−上総片貝8.6km)
 廃止されてからすでに30余年が経ち,その跡など残っている筈もないのだが, 1993年のゴールデンウィークに,小湊鉄道を訪ねた帰りに立ち寄ってみた.
 この九十九里鉄道は軌間762mmの軽便鉄道で,「単端式」と呼ばれる小型のガソリンカーが小さな客車を牽いて行き来していた.1973年頃までは東金駅の海側に車両の残骸が放置してあったという.
 小雨の降る中,友人とともに東金を訪ねた.予想通り駅の付近にそれらしいものは見あたらない.ホームの横に駅の敷地であったとおぼしき空き地があるので,駅を出てその空き地に足を踏み入れた.雑草が生い茂り,しかも雨降りとあって探索は難航した.
 少しの望みをかけて建物やホームのかけらでもないかとしばらく探したが,やはり30年という時間は無情である.ここが駅であったとの確証を得ることはできなかった.
 空き地はあきらめ,駅の跨線橋に登り当時の構内と現在のそれとを頭の中で比較してみた.実際に当時の情景を見た訳では無論ないが,繰り返し熟読した紀行本の写真を思い出すことは容易である.貨物側線や昔からあると思われる建物などの位置から,先ほどの空き地が九十九里鉄道の駅であることは確実であった.しかし,その敷地の大部分は車両たちの残骸を一掃して建てられたであろうスーパーマーケットの建物で占められていて,改めて30年という年月の長さを感じざるを得なかった.

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