FM放送番組テーマ曲集
1972年埼玉県生まれ.幼少時から家でかかっていたFM東京を聴いて育つ(と言っても自分から積極的に聴いた訳ではなく,いつも家の中で流れているのを耳にする程度). しかしそのお陰で,早い時期からポールモーリア等のイージーリスニングに慣れ親しみ,またフォーク・ニューミュージック好きの親の影響もあって「さだまさし」・「オフコース」等の歌を愛好する子供になる. 1984年,中学入学と同時に,興味を持ち始めていた放送の世界に入るべく放送部に入部.毎日昼休みの自主制作校内放送番組や学校行事等の,主に技術面を受け持つ.時を同じくして,洋楽好きの先輩の影響で,当時流行っていたカルチャークラブやデュランデュラン等のブリティッシュロック辺りから洋楽の世界に.また,校内放送で生徒からのリクエストに対応するため,部室内のチューナーを使い毎週土曜のFM東京の番組「ポップスベストテン」でかかるJPOPヒット曲(当時「JPOP」などという呼び方はなかったが)を録音するという作業があり,その辺から改めてFM(というか当時首都圏に1局しかなかった民放であるFM東京)にのめり込んでいった. この頃から,一般的な程度にテレビを嗜んでいた筆者も,徐々に1日の多くをFM(東京)を聴きながらの生活にシフトしていく.学校にいる間と寝ている間等を除いて家にいる時は必ずFM東京を聴きながら過ごした. 当時,いわゆる「エアチェック」がまだ全盛の時代であり,筆者と同年代以上の人にとっては当たり前のことだが,音楽は原則としてフルコーラス,今のようにアナウンスを被せたりフェードイン・フェードアウト・クロスフェードも余程のことがなければしないのが普通だった.音楽にアナウンスを被せるなど,むしろ御法度だったものだ.今ではその逆であるが. その頃,筆者と言えば,今でもそうだが,どうもレコードやCDを買うというのが好きでなく(一番の要因は貧乏だったからなのだが),しかし好きな音楽は手元に保存しいつでも聴けるようにしたいという願望を持つようになる.そこで,放送部を見習ってFMからテープに録音したものを聴く,というケチなシステムを採り入れることにした. しかし当時保有していたのは,小6のお年玉で買った,シャープ社製の(当時流行っていた)ダブルラジカセ「QT−77」.今考えると,何故オーディオに弱いシャープの製品を買ったのか後悔しているが,筆者はメーカーに拘る癖があり,当時家のテレビがシャープ製だったこともありシャープをこよなく愛好していた.だから,性能云々でなく,ただ単に好きだという理由でシャープのラジカセを購入した.恐らく3万円はしたと記憶している. このシャープのラジカセ,何だかんだ言いながらもその後10年間使い続けるのだが,オートリバースでもないのに(当時のオートリバースラジカセは,そうでない物に比べてテープ部の音質がやや悪かった)テープ録音の音質が悪く,今となっては悔やんでも悔やみ切れない. ともあれ,それまでアニメ番組の主題歌等を録音する程度にしか使っていなかったこのラジカセが活躍する時が来た. 初め,ラジカセ単体でFMを受信してカセットテープに録音していたのだが,やはりノイズが入る.FM東京の送信所である東京タワーからは数十キロ離れているが,電波の弱い地域ではない.ただどうしても付属のロッドアンテナ(棒状のアンテナ)だけだと心許ない.そこで,家のテレビアンテナから配線を分岐させ,それをラジカセに接続した. 蛇足であるが,筆者は小学生時代から電気関係のことが好きで,電気製品を分解してみたり簡単な電気工作をしてみたりが趣味であった.ある時,どうしても見たいアニメ番組がやや離れた地区のテレビ局(UHF局)で放映されていることを知り,それ見たさに家のテレビに自己流でアンテナを作り接続してみたりしていた.当時の知識の拠り所など,「学研の図鑑」位しかなかったのだが(しかしこれは今でも筆者の様々な分野の知識の基礎になっている偉大な書物である),それらと独自の稚拙な工夫を組み合わせ試行錯誤をして色々なことをやっていた.それもあって,FMの受信にも独自の工夫をしてみたりしたのだ. このテレビ配線分岐は大変な効果で,FM東京など全くノイズなしで楽しめるようになった.カセットテープへの録音の音質も向上した.同時に,小遣いが値上げされたのを機に,それまで親の使い古しだったカセットテープを,新規に購入することにした.例によってメーカーに拘り,TDK.当時のテープの種類は,現在と違った意味でまだ少なく,取り敢えず廉価だった「AD」を少ない小遣いから費用を捻出し月に1本程度購入して使用した. 筆者のエアチェックの方法だが,ラジカセの録音側にエアチェック用テープを入れ,常に録音一時停止状態にしておく.日常的にFMを聴きながら,自分の好きな曲がかかると(当時は必ず音楽をかける前に曲紹介をしてくれた.紹介があってから一拍置いて音楽がかかった)一時停止を解除して録音を始める.終わるとまた一時停止.ずっとこの状態にしておけば,すぐ対応できる.高校生になるまでこのようなシステムであった. 中学2年の冬,ラジカセの受信状態で満足できなくなった筆者は,その年のお年玉を全て投じ,ビクター社製のステレオチューナー「T−X500」を購入した.この製品は単品オーディオチューナーとしては中堅であるが,中学生が購入するには高級品と言えた.これにテレビアンテナから配線を分岐して接続,音声出力をラジカセの外部入力に繋いだ.当然だが大変な音質の向上になり,これにより以後のエアチェックも頻度を増し本格的になる.ただし,筆者はアンプやスピーカーには全く興味がなく,「テープにさえ良い音質で録音できればいい」と考えていた.もっとも,買う金がなかったのだが. しかし,折角の良いチューナーも,アンテナがFM専用でなければその性能を十分に発揮できない.そこで,FM専用アンテナを購入し取り付けることにした.アンテナそのものは近くの電器店(当時,安売りの量販店など存在せず,近所では「ラオックス」程度しかなかった)で3千円程で購入できたが,取り付けには難渋した.当時の筆者の家は旧家で,平屋の癖に瓦造りで屋根が異常に高く,アンテナを取り付けるために屋根に登るのもそう容易いことではなかった.親に頼み込んで何とかテレビアンテナの下に取り付け,東京タワーに向けた.アンテナとチューナーを接続するケーブルは,当時地域で有線テレビの工事が始まっており,その工事の人となぜか仲良くなっていて,当時一般には殆ど市販されていなかった「5C−FB」という高級な製品(現在ではむしろ旧製品扱いだが)を数十メートル恵んでもらったのを使用した. アンテナ・チューナー・ケーブルがある程度揃った1985年夏頃から,筆者のエアチェックライフは本格的なものになった.それこそFM東京を外出時以外は睡眠時も含め夜通しかけっ放し,好きな曲が流れればすぐさま録音.こうしてFM東京や各番組への愛着も自ずと深くなっていき,単に音楽を録音するためだけに止まらなくなる.丁度この頃から,一般の楽曲に加え,慣れ親しんだ幾つかの番組のテーマ曲等を気紛れに録音するようになる.この頃以後のテープライブラリには,JPOPや洋楽に混じって,当時好きだった「サウンドマーケット」等のテーマ曲が所々に録音されている.まさに「FMオムニバステープ」といった様相だ. 中学になり月々の小遣いが多少増えたこともあって,使用するカセットテープもグレードアップする.この頃,TDKから「AR」という,ノーマルポジションでは最高ランクのテープが発売され,筆者は以後数年間に亘りこのシリーズを愛用するようになる.20数年を経過した今でも,録音物の音質がさほど落ちていないことからも,大変性能の良いテープだったと思う. 因みに当時,その「AR」の90分で800円位はした(筆者は1本でたくさん録りたいケチ主義であったので,購入は必ず90分テープにしていた).同時期に,テレビで放映されていたあるアニメ番組を録画するために毎月1本購入していた同じくTDKの120分ビデオテープも,「ラオックス」で1本1200円位(3本パックなど存在しなかった)の時代だった. しばらくはこのような状況で時は流れる.この間,FMぐんま(1985年10月)・FM横浜(同12月)が相次いで開局し,筆者もFM東京をベースにしながらも,時間帯や曜日によってこれらに浮気したりしながら(10数年前までFM東京は早朝と宵の口の時間帯は高校通信講座をやっていて,主にその時間帯に群馬や横浜を聴くことになった)過ごす. 高校に入り(1987年),アルバイトができるようになって飛躍的に財政状況が向上する.また,この頃ちょうど自宅を新築したので,これに合わせてFMアンテナを大きくグレードアップした.家の庭に電柱を建て,その頭頂部に回転装置(「ローテーター」というアンテナの向きを変えるためのモーター)と8素子のFM専用アンテナを取り付け,アンテナの方向を自室から遠隔操作で360度変えられるシステムにした.従前の5素子は一段低い場所に東京タワー向け専用として取り付け,受信目的によって自室でスイッチにより切り替えられるようにした. これにより,5素子ではノイズが混じっていたFM横浜等もノイズが全くなく受信できるようになり,さらに遠距離のFM放送を受信できるようになったため,遠くは静岡や岩手・新潟・長野等のローカル番組をも楽しむようになった(遠距離受信趣味では福井や兵庫等の放送を受信したりして楽しんでいたのだが,これに関しては趣旨が異なるのでここでは触れず別の機会にする). 当時の番組スケジュールだが,登校中は聴けないから別として,部活のない日の場合は夕方帰宅し,まずFM横浜(高校時代はFM横浜にかなり傾いていた)を18時まで,18時からNHK(各局別ローカル番組),19時以降22時まで(気分によっては夜中まで)がFMぐんま,22時から25時までがFM東京,25時以降は朝の番組を聴くために再びFM横浜に変えて就寝,という流れであった.何と,FM東京を殆ど聴いていなかったことが判る.祝日や長期休暇等で平日の昼間に聴ける時でも,やはりFM横浜が主であった.ただ,逆に土日は引き続きFM東京が中心になる.特に日曜はFM東京以外は何故か一切耳にしなかった.これは今でも変わらない.また一時期,土曜の午後にFM長野にはまっていた時期があったが,これは好きな声優(日高のり子)が出ている番組があったからである. このため,聴く局を変える度にアンテナの方角も変えるという作業があり,これがなかなか楽しくもあった. ところで,エアチェックに使っている機器だが,この頃にちょっとした変化があった.前述のようにシャープラジカセにビクターチューナーの組み合わせが長らく続いたが,実は家にはそのずっと以前からトリオ(現ケンウッド)のステレオセット(アンプ+スピーカー+チューナー+カセットデッキ+レコードプレーヤーがワンセットになっていて,1980年の購入当時で30数万円)が存在していた.しかし殆ど使っておらず,ただの置物と化していた.当然こちらの方が,チューナーはともかくカセットデッキはラジカセなどより性能は上の筈なのだが,中学時代に一度試しに録音してみたら音質が意外に良くなかった…ということがあり,その印象が強くてそれまで見向きもしなかったのである(それとて今考えれば単なる勘違いだったのだろう).それがある時,愛用のシャープラジカセが故障し,修理の間に代替としてトリオのカセットデッキを渋々ながら使わねばならなくなった.とこどが,使ってみたらこれがラジカセより非常に音質が良いことが判り(と言うか当然のことなのだが),すぐさまヘッドの消磁と清掃を行い,録音レベルや左右のバランス等を調整し,シャープラジカセに代わって本務機となった(修理から戻ったシャープラジカセは予備に回った).以後,素材ファイルでもお判りのように,音質が飛躍的に向上することになる(逆に言えば,ラジカセの音質が如何に良くなかったかということだ). この頃,愛用のカセットテープ「AR」をさらにグレードアップし,「AR−X」を使うようになる.最もエアチェックが盛んになったのもこの頃だ.月に2〜3本の勢いでテープを消費していった.馴染みの番組のテーマ曲録音も多くなり,テープの半分以上を占めることもあった.また,この頃から,馴染みの番組の最終回を丸ごと録音して残すということを始めた(それまでは番組丸ごと録音するなどしたことはなかった). 高校を卒業(1990年)して,計画的に浪人をすることにしていた筆者は,この1年間を非常に有意義に過ごすことができた.通年,1日中FMを聴き放題である(一応申し訳程度に予備校に通ってはいたが,それとて週に3日).深夜番組など朝になるまで聴き通した.この時期がエアチェックライフの最高潮であったと言える. この年,家で買い換えのため余った東芝社製ビデオデッキを自室に設置した.既にテレビを殆ど観ない生活になっていたためビデオデッキもそれ程の用はなかったが,これをFM番組の録音に使うことを思い付いた.ビデオテープはカセットに比べて音質が良くまたテープ走行のムラ等もないので,(当時の一般的な)録音媒体としては最高であった.チューナーから,中学卒業時に餞別として貰った放送部所有のパイオニア社製の高級アンプを介してカセットデッキとビデオデッキに分配して接続した.しかしさすがに日常の録音には適さず,専ら番組丸ごと録音が必要な時に活躍した.これはDATを導入するまで数年間使用したが,今聴いてみると微妙に録音ノイズが入っており(安い製品だったので仕方ないのだが),実はそれ程の性能ではなかったことが露呈した. 翌年,めでたく大学に滑り込む.幸運にも「マスコミ学科」なるものが開設されており,迷うことなくそれを希望した.また,その関連で放送系サークルが幾つもあり,その中からラジオを標榜している団体に入った. しかし大学入学のお陰でサークル活動や交友関係での外出等も多くなり,皮肉にもFMを聴く時間はそれまでに比べて大変少なくなっていた.日常的に行っていた音楽のエアチェックも徐々に少なくなり,専用のカセットテープも必要なくなって,それまで続けていたエアチェック即応体制も大学1年の秋頃解除された.代わりに,番組丸ごと録音は春秋その他の改編時に大規模になされ,160分ビデオテープを3倍録画(録音)で使用して8時間通し録音なども始めている(その後180分テープが発売され最長9時間録音も可能となりエスカレートする).これにより,単に番組単体だけでなく,数時間を通しで聴くという全体的な雰囲気をも保存することが可能となった.この頃から,番組のテーマ曲だけをカセットテープに録音することが必要なくなり,カセットテープ録音自体をすることも少なくなった.経済的に豊かになりビクター社製の高級カセットデッキを購入したにも関わらず,皮肉なものである. それでも,FMを聴くことを止めた訳ではない.ただ,1993年秋,FM横浜がイメージを一新(「ハマラジ」と愛称を変え,番組編成も全て変わってしまう)したのに伴い,それを機会にFM横浜を聴くのを一切止めた.その分,FM東京(当時はもう東京FM)に戻っていった.FMぐんまも,丁度聴いていた時間帯に外出していることが多くなったこともあり,殆ど聴くことはなくなっていた.因みに1993年の秋は,FM横浜を録音したテープが膨大に残ることになる. 1994年頃,大学の備品としてDAT(デジタルオーディオテープ)デッキが2台あり,しかしこれが全く使われていなかったので,内緒で拝借して暫く自宅で使用していた.これによりFMの録音はDATになり,ビデオテープ時代は終わった.DATは売っている店は少ないが音質は最高で長時間録音もできるため,FMの録音に適したこれ以上の媒体はない.その後自分でDATデッキを購入し現在に至るまでDATを使い続けている.DATは確か1985年頃には登場していたと聞くが,その当時に手に入れることができていたなら…と悔やむ.もっとも,当時なら特殊機器であり,筆者如きが手に入れることはできなかったのだが. 以上のような経緯で,掲載した素材ファイルにも年代により音質の差が出てきている.シャープラジカセ時代などAMラジオのような音質だ.それでもカセットテープは,保管には(ほぼ)万全の注意を払ってきた.少なくとも,一般的に多くが経験すると聞く「テープの伸び」や「カビが生える」等は今のところ発生していない.経年変化による音質の低下も,それ程ではないと自負している.DATを購入した時点で初期2年分位のテープの内容はDATにダビングしてあり,更にパソコンを購入した時点でハードディスクやCDRにもデータとして保存した.これらのテープは1985年以降ほぼ月別に連続しており,まるで日記のようにテープを聴くだけで当時のことが思い出される,他の物には代え難い,まさに想い出の品だ.他人が聴けば,ただ音楽が無闇に録音されているだけの古いテープに過ぎないのだろうが. (「大人の事情」により長々と前説をお読みいただいたが)それでは,懐かしのFM番組テーマ曲集をお楽しみ下さい. ただしこれらは,作者の好みにより集めたものであり,偏りがあることをご了承下さい. なお,音源素材はこの他にも所蔵していますが,まだ全てをファイル化できていないため,順次ファイル化を進めています.今後も作業を終了したものから順次追加していく予定です. 1986.04〜1990.03 1990.04〜1995.03 なお,上記のページに掲載されている他,未掲載のファイルが多数あります. ただし,ウェブページとしてまとめてなく,解説等もないファイル一覧の状態です.それでも聴いてみたいという方は以下の注意事項を熟読の上で試聴して下さい. ■録音環境・録音仕様・利用方法等は上記のページに掲載のものに準ずる. ■ファイル名凡例: ・ファイルは原則として番組名の数字・アルファベット順で掲載している(日本語の番組名もアルファベットで表記). ・ファイル毎の解説はないが,ファイル名から番組名や録音年月日等を判別できるようになっている. 例@…[AMUSEMENT CLUB-851208-A.mp3]=「アミューズメントクラブ」1985年12月8日録音の前テーマ ※ファイル名は[番組名-録音年月日-種別.拡張子]で付してある. 種別の[A]は前テーマ,[B]は後テーマ,[SS]はサウンドステッカー類,[TSxx]は時報とその時刻,無印は番組(広告)全編…をそれぞれ意味する. なお,ファイル名の頭に[CM]とあるのは広告,[JG]とあるのは「ジングル」,[R]は複数の番組・広告に亘って録音(ファイル名を年月日時分で表示)…をそれぞれ表する. 例A…[SOUND CARGO-860499-B.mp3]=「サウンドカーゴ」1986年4月録音の後テーマ(日不明) 例B…[NIGHTLY YOURS-039999-B.mp3]=「ナイトリーユアーズ」2003年録音の後テーマ(月日不明) ※原則として,年月日で不明な部分は[99]を付している. 例C…[B.L.T. PLEASE!-900101-A(TU).mp3]=エフエム東京(東京エフエム)以外の放送からの録音の場合は,()内にその局のコールサインの下2文字を付した([TU]=エフエム横浜,[RU]=エフエム群馬,[AK]=日本放送協会東京エフエム,[JU]=エフエム仙台…等) ・その他,特異なファイル名が存在するが,内容等から推測していただきたい. ■一部,前後の広告やジングル等を,テーマ曲の前後も含めた雰囲気を再現するために残してあるものもある. ■ファイルは適宜増えることがある.また,都合によりファイル名を変更する場合があるので,ファイルへの直接のリンクはご遠慮いただきたい.
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