県道324号蒲生岩槻線分離点〜築堤起点
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県道324号蒲生岩槻線との分岐部分.現在の県道脇を進んだ線路は,中央の歩道がやや広がっている部分から左手に逸れる県道と別れ,そのまま直進していた.
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分岐部分.歩道脇がおおよその線路跡と思われる.正面の自動車修理工場の敷地を通り,そのまま向こうに抜けていたようだ.
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左の車が置いてある自動車修理工場の敷地が線路跡.
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写真3の地点から現在民家や工場になっている場所を抜け,左の白い塀が終わる辺りから道路を渡り,右側の白い建物の辺りに抜けていた.
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左の民家敷地をかすめる,白い建物の部分が線路跡か.
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写真5の地点から正面の赤い屋根の民家がある場所を抜けて市道を渡り,手前の空き地に直進していた.
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空き地は築堤となって真っ直ぐ続く.
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築堤には畑が造られたり樹木が立っている.
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築堤起点〜目白大学入り口交差点
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廃止から70年を経た今でも残る築堤.線路は右手から左手へ.
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築堤を俯瞰する.遠くからでもはっきりと判る.
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盛り土は所々で崩されて途切れているが,残っている部分は周囲と高さが違うのが容易に判別できる.
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右手の植え込みの向こうから中央の樹木の向こうを通り左手へ抜けていた.
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右手の樹木と中央の植え込みの向こうが線路跡.
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紅い葉の植え込みの右側(畑の一部になっている)が線路跡.この辺り,築堤は崩されたのか元々低いのか,土地の高さが周りと同じ水準.
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正面の緑色のトタン板から手前に抜ける.
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線路跡を正面に捉える.昔からこのような森であったかのようだ.
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写真14の地点の後方.
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線路跡は中央の畑になっている所を通り,正面の森の部分で再び築堤となっている.
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ここから盛り土となっている.この手前までは崩されたのだろうか.
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右手から中央にかけてが築堤.
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盛り土部分の俯瞰.
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線路は右手に小さく見える赤い屋根の家屋から築堤を通り左手に抜けていた.
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左手の森の部分が線路跡.この辺りで周りの土地が高くなって築堤と同水準になる.
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盛り土が終わる部分.正面の森から手前の草の生えている所へ.
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左手の屋敷の辺りは地平に下りている.
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写真24の場所から後方を見る.築堤の終わりから市道の交差点までは畑となり線路跡は呑み込まれているが,直線なので位置を推測することは可能.
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目白大学入り口交差点〜目白大学正門前
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目白大学正門前〜目白大学構内
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線路は赤になっている信号機の向こう側から左手の道路の所を通っていた.
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目白大学の正門に通じる道路が市道と交差する.線路跡は赤信号の左に見える樹木の部分から真っ直ぐこちらに向かい,目白大学への直線の道路に重なる.
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線路跡を利用して造られた目白大学への道路.以前は目前の横断歩道の辺りにトタン板が立てられてその先は塞がれていた.
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1990年代初めまでは,この区間は掘り割りのようになっていて線路跡には草が生い茂り,人が踏み込むような場所ではなかった.浮谷駅はこの付近.
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線路跡はこのまま大学構内に入り込み,奥にある校舎に突き当たって一旦消える.線路は真っ直ぐに大学の敷地を突っ切っていた.
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写真31の地点から大学の敷地を真っ直ぐ抜けた反対側に当たる場所.樹木の茂っている場所が線路跡と思われる.
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目白大学構内〜大字笹久保1931番地先
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大字笹久保1931番地先〜「建起工業」裏
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写真32の右手の地点から北方向を見る.
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写真33のやや南側から北方向.この部分は畦道ですらなく,水の涸れた小川のようになっている.
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写真34の反対側.農道と交差する.
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この場所からは畦道となってはっきり残る.
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畦道を進み,写真36の地点を見る.
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畦道となった線路跡は市道を越えた所で鉄工所(中央)の敷地になる.
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「建起工業」裏〜「槻寿苑」広場
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鉄工所は線路跡の敷地そのままに細長く造られている.
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鉄工所の敷地を抜けて来た線路は市道を渡って更に直進していた.
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線路は右の鉄工所から市道を渡り左の樹木の向こうに抜けていたと思われる.
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写真41を西側から見る.右手は市営の老人ホーム「槻寿苑」.
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鉄工所を抜けた線路跡は中央の資材置き場の貨車の辺りを抜けていたと思われるが,その向こう側の地形が変わっており判然としない.
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「槻寿苑」から鉄工所と資材置き場を見越す.
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「槻寿苑」の敷地内.線路は同苑敷地の北側半分を斜めに突っ切っていたと思われる.
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写真45の地点を敷地外から見る.築堤が地平に下りていたと思われるがその痕跡はない.
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「槻寿苑」広場〜「石橋紙器」裏
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「槻寿苑」の敷地を斜めに通り,線路跡は少しの間市道に重なる.
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線路跡が重なる市道.正面の倉庫のような建物に線路跡は続いていく.
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倉庫の前から「槻寿苑」側を望む.
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しばらく市道に重なった線路跡は市道を分岐して左手に直進する.
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「石橋紙器」裏〜「埼玉県中古自動車販売」駐車場先
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緑色の建物が線路跡と思われる.県道との分岐点からここまで,ずっと直線である.
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写真51の地点から細長い敷地となって続く.倉庫や町工場が線路跡の上に建っている.
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はっきりと判る直線の敷地で線路跡は続く.
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線路跡は多くが荒れている.この荒れ地の中に未発見の遺構でもないかと探したくなる.
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「埼玉県中古自動車販売」駐車場先〜「時田建材」裏
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農道を渡って更に一直線に続く.
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写真55の右手.中古自動車オークション会場の一部となっている.以前は単なる荒れ地だった.
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「時田建材」裏〜笹久保新田停留所
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北側を見る.線路跡は左手の舗装道路ではなく右手の自動車が置いてある敷地.自動車はオークション会社の物.
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写真57の地点から南側.この先で県道214号新方須賀さいたま線を渡る.ひたすら直線.
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線路跡には所狭しと各種の自動車が停められている.
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県道との交差点.中央の家屋も線路跡に収まって建てられている.線路はそのまま直線で右手に抜けていた.
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笹久保新田停留所〜「プラコー」前
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県道の向こうに続く線路跡.ここもオークション会社の敷地だ.
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写真61の線路跡を西側から望む.線路跡の形状から,この場所に笹久保駅があったと思われる.
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この場所もオークション会社ができる以前は荒れ地だった.
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200メートル程行った所で舗装が途切れ,市道(手前)に突き当たる.
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「プラコー」前〜大字高畑589番地先
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市道に当たる部分.市道との間には側溝と段差があり道路として接続はしていない.線路跡は更に直線で進む.
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ここもオークション会社の駐車場.線路は舗装されている部分を通っていたようだ.
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舗装が途切れ,綾瀬川に突き当たる.
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綾瀬川の河原から北側を見る.
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綾瀬川を渡っていたと思われる場所.両岸の線路跡の位置関係から,草間に白い物(ゴミか?)が見える辺りが渡河地点と思われる.
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川を渡る.護岸工事により橋台等の痕跡は一切見当たらない.1970年頃までは橋脚が残存したという.
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大字高畑589番地先〜「オートウェーブ」駐車場
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綾瀬川を渡り農地を抜ける.中央に向こう岸の線路跡(自動車のある場所)が見える.
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唯一の遺構として知られる伝右川を越えていた橋梁の橋台.因みに作物の並びと線路跡はややずれており一致してはいない.
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向こう岸の橋台も残っている.大変貴重な遺構である.
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北側の橋台.築堤があったことが窺える.
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市道を渡った線路は中央のコンテナの辺りを進んでいたと思われる.
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線路跡は自動車部品販売店「オートウェーブ」の敷地(駐車場)に呑み込まれる.
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広大な駐車場の隅から再び線路跡が現れる.以前は線路跡にだけ細長く駐車場が出っ張っていたが,最近になって周囲も含め駐車場として造成された.
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線路跡と「埼玉スタジアム」.巨大競技場に高速道路,廃止当時,この周辺がこれ程に発展するとは誰が想像したであろうか.
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「オートウェーブ」駐車場〜国道122号合流点
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駐車場の隅から線路跡は再び姿を現す.低く築堤になっていたようにも見えるがはっきりとは判らない.
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線路跡に重なり,林の中に事務所や倉庫が建っている.右手が「オートウェーブ」敷地.
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線路は右から左へ抜けていた.ここも樹木が生い茂り時間の経過を感じさせる.
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写真81の地点を南側から見る.線路にはずっと畦道が沿っていたのだろうか.
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線路跡には家屋と空き地が交互に存在する.
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写真83の南側.家屋は既に使われていないようであった.
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家屋とその庭の向こうには再び木が生い茂る.
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樹木が茂り,土地がやや高くなる.築堤であったのか,または後で土を盛ったのかは不明.
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青いトタン板に遮られてここで一旦途切れる.この先は工場とガソリンスタンドの敷地になっている筈だ.
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線路はこの敷地の中を通っていたと思われるが線路跡は判らなくなっている.
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正面は国道122号.左手の建物の場所から陸橋の右手奥辺りに抜けて国道に合流していたと思われるが,合流地点は判然としない.
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線路跡はこの場所辺りで国道と東北縦貫自動車道(右手フェンスの向こう側)に呑み込まれ,この先川口市神根に至る.勿論,痕跡は一切ない.
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県道324号蒲生岩槻線分離点〜「岩槻グリーンウッドゴルフ」南
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現在は倉庫になっている店舗と駐車場の敷地が路盤の跡.
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線路は現在の県道に沿って西側に敷かれていた.
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「岩槻グリーンウッドゴルフ」南〜「ヤマト運輸岩槻営業所」北
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市道を渡り空き地や民家となって続く.
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現役当時は左の民家の庭先を蒸機やガソリン動車がゆっくりと通り過ぎていたのであろう.
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「ヤマト運輸岩槻営業所」北〜「小川デンソー」
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工場の敷地の中に取り込まれるが,再び判り易い区画となって県道から別れていく.
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住宅地や空き地になっているが,それと判る.
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「小川デンソー」〜城南3丁目2番地内
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非常に判り易く家屋が建っている.
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この場所も判り易い.店舗へのアプローチと店舗がそのまま線路跡.
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城南3丁目2番地内〜「山二酒店」
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笹久保方向を望む.住宅街の中の生活道路にしては不自然に幅が広い.国道に接続する道路であるが車の通りなど殆どない.
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白いガードレールが国道16号.越えた先に見える茶色の屋根の店舗が線路跡.この先も多少だが民家等の敷地にその痕跡が残る.
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廃線跡ではないが,今も残る武州鉄道の貴重な遺構.旧笹久保駅に併設されていた倉庫の建物を廃止後に移設したものだという.但し何故か,笹久保駅からかなり離れた場所にあり,線路からも若干の距離がある.現在は個人の所有となっているようだ.それにしても,ここは筆者の実家からはすぐの場所であり,幼少の頃からの行動圏内でこの建物の傍を通ったことなど数えられぬ程なのだが,つい最近まで武州鉄道のものであったことは全く知らなかった(2010年6月撮影).
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